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2009年9月11日 コラム)メンデルスゾーン生誕200年


 あまり知られていないかもしれないが、今年は、メンデルスゾーン生誕200年である。
 メンデルスゾーンなんて聞いたことがない?そんなはずはない。
 結婚披露宴の新郎新婦が登場する場面で必ず鳴り響く曲があるでしょう。そう、あれがメンデルスゾーン作曲「真夏の夜の夢」の結婚行進曲だ。
 ここでは、作品のことはひとまずおいて、その人生について少し復習してみたい。

 メンデルスゾーンは、1809年、ハンブルグで4人きょうだいの長男として生まれた。祖父は高名な哲学者、父親は裕福な銀行家であった。(ちなみに、父親には、財力だけでなく教養やユーモアのセンスもあった。後に「私は、かつては父親の息子として知られていたが、現在では息子の父親として知られるようになった。」というユーモラスな自己紹介をしている。)このような家庭で、メンデルスゾーンは経済的にも愛情にも恵まれて育った。幼い頃から神童ぶりを発揮し、作曲のほか、ピアノの名手としても、指揮者としても、順調に成功を収めていった。
 偉大な芸術家には、性格に問題があったり、実務能力に欠けるなど、社会に適応できない人物も少なくないが、メンデルスゾーンはこの点でも卓越した能力を発揮した。ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団の音楽監督として同楽団をドイツ屈指のオーケストラに育て上げる一方で、プロイセン王に招かれてベルリンの宮廷礼拝堂楽長に就任した。そうかと思えば、ライプツィヒ音楽院開設のために奔走して豪華な教授陣を招聘し、自らは初代院長に就任してもいる。もちろん、家庭生活も円満で、美しい妻とかわいい子供たちにも恵まれた。
 そのほかにも、「マタイ受難曲」の復活上演によって当時忘れ去られていたバッハ再評価のきっかけを作り、また、遺品とともに埋もれていたシューベルトの交響曲「グレイト」を初演した。他方で、新進気鋭のシューマンを世に送り出したりもしている。まさに八面六臂の活躍である。
 しかし、さすがのメンデルスゾーンも過労がたたったのか、1847年、最大の理解者だった姉ファニーの突然の訃報に接して悲嘆に暮れ、半年後に38歳の若さで世を去った。

 メンデルスゾーンは、ユダヤの家系である。
 生前にあからさまな差別を受けていたかどうかは定かでないが、マイノリティだったことは間違いない。そして、亡くなるのを待ちかねていたかのように、悪意に満ちた差別的中傷にさらされるようになり、ついにはナチス政権下で作品の演奏が禁止されるに至った。
 そんなメンデルスゾーンだが、その作品に重苦しさは感じられない。聞き手を不快にさせる要素は入念に取り除かれているかのようだ。彼は、自分が苦労のないお坊ちゃんだと見られていることを自覚しながら、それに反発するでもなく、軽快で優しく美しい曲を書き続けた。育ちの良さといってしまえばそれまでだが、業績だけでなく、人間的にも偉大だったというほかない。
 
 現在、メンデルスゾーンは、ベルリンの共同墓地で家族と並んで眠っているそうだ。いつか訪れてみたいと思っている。
 
                                                   弁護士 翠川 洋


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