コラム

【コラム】自己紹介(弁護士 官澤里美)

2018年07月29日

昭和32年のクリスマスイブ、宮城県の名峰:泉ヶ岳の麓の根白石という純農村で、代々農家の官澤家12代目として出生。
幼稚園はなく、塾もなく(公会堂でやっているそろばん塾はあった)、根白石小学校・根白石中学校でのんびりと勉学に励む。

そういえば、小学校では春に田植え休みがあり(当時は小学生も貴重な労働力だった)、 中学校では数学の時間に裏山でキノコ獲りがあった(数学の先生が授業よりもキノコ獲りをしたかっただけだった)。

高校は仙台一高に進学。

仙台一高は、生徒の自主性を重んじる高校で、必要な単位の授業を選択すれば自由で、毎朝のホームルームや土足で掃除もなく、PやAにも寛容だった。
高校時代は、ラグビー部に所属して夏の炎天下走り回され(しかも、当時はバテるからと練習が終わるまで水は飲まされなかった)、 人間は倒れたくともなかなか倒れないものと知った。
試合や合宿の後にはよくAを飲んだが(当時は見逃されたが、現在は厳禁です!)、一度、羽目を外し過ぎて3日間自宅謹慎処分をうける。
一度は東京に出たくて東京大学を受験するが不合格。
その後、駿台予備校の狭い部屋に2段ベッド2つの下総中山寮の4人部屋で猛勉強し(1日15時間は勉強した)、1浪後なんとか東京大学法学部に合格する。
実は滑り止めをどこも受験しておらず、落ちたらモンゴルに行って遊牧民になると吹聴していた(なぜ、モンゴルだったかは忘れた)。

東京大学1年生の時、TBS系列で昼に全国放送していた「ベルトクイズQ&A」というクイズ番組に出演し、 2日間で見事5人勝ち抜く(予備校と寮の行き帰りの電車でのスポーツ新聞拾い読み&受験勉強で世界史から芸能界まで幅広い分野の知識量がマックスだった)。
次の問題に正解したら100万円というミリオンステージに挑戦となったが、「おそ松くん」の6人兄弟の名前を言い損ねて100万円はパーに…
東京大学3年生の時、三ヶ月章教授の講義での「弁護士等の法曹は、勉強で身に付けた知識・技能を駆使して法的トラブルを解決し、 お客様に喜んで貰えるやりがいのある仕事」との話しに感動し、法曹こそ自分の天職と決意。 その後、またも猛勉強して何とか司法試験に合格(大学受験当時のように1日15時間は勉強した)。

そして、「ここに相談に来てよかったと思って戴ける事務所」をモットーに、弁護士12名・職員14名の現在の官澤綜合法律事務所に至る。
法律や判例は日々変わるため、弁護士は引退するまで勉強を欠かせない。
しかし、本来勉強は知らないことを知る楽しいものだし、勉強したことすべてがお客様に喜んで貰うために役立つと思えば、 実は苦しいものではない(時間の確保には苦労するが…)。

勉強したことを身に付けるには、講義やセミナーの講師を務めるのが一番! 事務所の広告にもなる!

もともと、教えるのが好きなこともあり、弁護士になって5年目頃から毎年200時間位は講義やセミナーを担当。

どうしたら受講生を楽しませることができるかの研究のため(?)、落語、講談、演劇、ライブ等の鑑賞にせいを出す。

もちろん、講義の内容についても研究しており、現在は家族が受託者となるいわゆる家族信託を研究中。

さて、今年後半は、コブクロ、ゆず、山下達郎、小田和正、大橋純子等のライブで研究です!?

以上

(メールマガジン2018年6月号掲載と同一の内容です。)